10/16 (月) 何をしたら天国にいけるの?- Pastor RIE

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10/16(月)Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

「何をしたら天国にいけるの?」

誰が天国に入れるの?
行い?
自分が正しいとおもうことをすること?
律法を守ること
それも 携挙されたいために?

そのことについてお話ししています

ガラテヤ3:1-7
ああ愚かなガラテヤ人。
十字架につけられたイエス・キリストが、
あなたがたの目の前に、
あんなにはっきり示されたのに、
だれがあなたがたを迷わせたのですか。
ただこれだけをあなたがたから
聞いておきたい。
あなたがたが御霊を受けたのは、
律法を行ったからですか。
それとも信仰をもって聞いたからですか。
あなたがたはどこまで道理が
わからないのですか。
御霊で始まったあなたがたが、
いま肉によって完成されるというのですか。
あなたがたがあれほどのことを経験したのは、むだだったのでしょうか。
万が一にもそんなことはないでしょうが。
とすれば、あなたがたに御霊を与え、
あなたがたの間で奇蹟を行われた方は、
あなたがたが律法を行ったから、
そうなさったのですか。
それともあなたがたが信仰を
もって聞いたからですか。
アブラハムは神を信じ、
それが彼の義とみなされました。
それと同じことです。
ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。

ガラテヤ3:1-7 現代語訳
「ああ、ガラテヤの皆さん。
なんと物わかりが悪いのでしょう。
いったいどんな魔術師にだまされて、
魔法にかけられたのですか。
私は、十字架上で死なれたキリストの姿を、絵のようにありありと目の前に示して、
その死の意味をはっきりと
教えたではありませんか。
一つだけ聞いておきます。

あなたがたは、なぜ聖霊をいただくことができたのですか。律法を守ろうと
努力したからですか。
キリストのことを聞き、
その救いを信じて初めて、
聖霊はあなたがたのところに
来てくださったのです。
とすると、信仰生活が聖霊によって
始まったのに、どうして、
律法を救いの条件とするのですか。

あれほどの経験をしたあなたがたが、
福音をあっさりと投げ捨ててしまうのですか。とても信じられないことです。

もう一度聞きます。なぜ神様は、
あなたがたに聖霊の力を与え、
奇跡を見せてくださったのですか。律法を守ろうと努力したからですか。
そうではないでしょう。
キリストを信じ、全くお任せしたからです。 アブラハムも同じ経験をしました。
彼は神の約束を信じたというだけで、
天国へ入る資格を与えられたのです。
このことから、心から神に信頼する人は
だれでも、アブラハムの真の子孫と
なることができるのです。」
‭‭

マタイ22:37-39
そこで、イエスは彼に言われた。
「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

ローマ10:1-11
兄弟たち。私が心の望みとし、
また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。

私は、彼らが神に対して
熱心であることをあかしします。
しかし、その熱心は知識に
基づくものではありません。
というのは、彼らは神の義を知らず、
自分自身の義を立てようとして、
神の義に従わなかったからです。

キリストが律法を終わらせられたので、
信じる人はみな義と認められるのです。

モーセは、律法による義を行う人は、
その義によって生きる、と書いています。

しかし、信仰による義はこう言います。
「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」
それはキリストを引き降ろすことです。
また、「だれが地の奥底に下るだろうか、
と言ってはいけない。」
それはキリストを死者の中から
引き上げることです。
では、どう言っていますか。
「みことばはあなたの近くにある。
あなたの口にあり、あなたの心にある。」
これは私たちの宣べ伝えている
信仰のことばのことです。

なぜなら、もしあなたの口で
イエスを主と告白し、あなたの心で
神はイエスを死者の中から
よみがえらせてくださったと信じるなら、
あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

聖書はこう言っています。
「彼に信頼する者は、
失望させられることがない。」

ガラテヤ5:4-5
律法によって義と認められようとしている
あなたがたは、キリストから離れ、
恵みから落ちてしまったのです。
私たちは、信仰により、御霊によって、
義をいただく望みを熱心に
抱いているのです。

‬‬ガラテヤ2:16-21
しかし、人は律法の行いによっては
義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
しかし、もし私たちが、キリストにあって義と認められることを求めながら、私たち自身も罪人であることがわかるのなら、キリストは罪の助成者なのでしょうか。そんなことは絶対にありえないことです。

けれども、もし私が前に打ちこわしたものをもう一度建てるなら、私は自分自身を違反者にしてしまうのです。

しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」

現代語訳

「しかし、私たちユダヤ人クリスチャンにしても、律法の行いを守ることによって神の前で正しい者と認められたのではありません。ただ、罪を取り除いてくださるキリスト・イエスを信じる信仰によって認められたのではありませんか。だからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。それは律法によってではなく、信仰によって神に認められるためです。律法の行いを守って救われる人など、一人もいないのですから。」 しかしもし、キリストの救いを信じた私たちが、あとになって、それはまちがいだった、やはり割礼を受け、律法もみな守らなければ救われないとわかったとしたら、どういうことになるでしょうか。キリストを信じたために、さんざんな目に会ったことになるわけです。しかし、そんなことは絶対にありえません。 前に打ちこわした方法――律法を守ることで救われようとする方法――でもう一度建て直そうとするなら、それこそが罪なのです。 というのは、いくら律法に従おうと努力しても――それは失敗以外にないのです――神の恵みは決して受けられないことがわかったからです。キリストを信じて初めて、神に受け入れられることがはっきりわかったのです。」
「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや、私自身が生きているのではありません。キリストが、私のうちに生きておられるのです。私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、今、私のうちにはほんとうのいのちが与えられています。 私は、キリストの死を無にはしません。もし私たちが、律法を守ることによって救われるなら、キリストが死ぬ必要などなかったはずですから。」
‭‭ガラテヤ人への手紙‬ ‭2:16-21‬ ‭JCB‬‬

1コリント15:1-2
 兄弟たち。私は今、
あなたがたに福音を知らせましょう。
これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、
また、それによって立っている福音です。
また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、
私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、
この福音によって救われるのです。

コロサイ1:23
ただし、あなたがたは、
しっかりとした土台の上に堅く立って、
すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、
このパウロはそれに仕える者となったのです。

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