10/17 (火) 行い信仰は 呪い – Pastor RIE

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

10/17 (火)Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

「行い信仰は 呪い」

行いで 神様から愛されると
間違った思いや 間違った教えを
受け取っていないか?

できない
自分をせめる
窮屈になる
できない自分が嫌になる
神様に顔向けできない
こんな自分愛されるわけない

そう思ってる人によい知らせがあります
みことばをよくみてください

福音とはなんですか?
良い知らせです!
ゴスペルとはなんですか?
Good Newsです!!

神様からの良い知らせ Good Newsを
お伝えします

ガラテヤ3:10-13
というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。
しかし律法は、「信仰による」のではありません。
「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。
キリストは、私たちのために
のろわれたものとなって、
私たちを律法ののろいから
贖い出してくださいました。
なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

リビングバイブル

‭‭「律法の行いに頼って救われようとする者は、神にのろわれます。なぜなら、聖書には、「神の律法の書にあることばを一つでも破る者は、のろわれる」 ( 申命27・26 ) とはっきり書いてあるからです。 したがって、律法によってはだれ一人、神の恵みを受けることはできないわけです。神の前で正しい者と認められる道は信仰による以外にない、と神様は言っておられます。預言者ハバククが、「正しい人は信仰によって生きる」 ( ハバクク2・4 ) と語ったとおりです。 この信仰による道は、律法の行いによる道とはなんと違うことでしょう。律法による道は、律法を一つ残らず完全に守ることによって救われる、と教えているのですから。 しかし自分の悪い行いのために、私たちが受けなければならないはずののろいを、キリストはご自分の身に引き受け、私たちを律法ののろいから救い出してくださいました。聖書に、「木にかけられる者はだれでも、のろわれた者である」 ( 申命21・23 ) と書いてあるからです。」
‭‭ガラテヤ人への手紙‬ ‭3:10-13‬

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

SNSでもご購読できます。