12/26 (火) ヨハネの黙示録22 最終回 – Pastor RIE

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12/26 (火) Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

ヨハネの黙示録 22章最終回

21章では新しい天と新しい地
そして新しいエルサレムの情景が
書かれてありました

22:1-2
 御使いはまた、私に水晶のように光るいのちの水の川を見せた。それは神と小羊との御座から出て、
2
都の大通りの中央を流れていた。川の両岸には、いのちの木があって、十二種の実がなり、毎月、実ができた。また、その木の葉は諸国の民をいやした。

ーーこの川は命の水の川です
聖霊と祝福と霊的な力が流れ続けていることを表しています
水晶のように明るいいのちに川の水です
この川は 御座から出て都の大通りの中を
流れています

いのちの木
いのちの川 の両岸にいのちの木が
植わっています
この木はエデンの園のに植わっていたもの
ですがそれが戻ってきたのです

その木は豊かな実を鳴らせます
毎月収穫できます
12種類の異なった実がなるのです
毎月といっていますが太陽と月がないので
今までの暦ではなく
暦も新しくなるんでしょう

この木の葉は癒しの力があります

新しいエルサレムには病気がないのに
何を癒すのか?と思った人もいるかも
しれません それは病気になることもない
肉体や霊を傷つけるものもないことを
しめしています

22:3-5
もはや、のろわれるものは何もない。神と小羊との御座が都の中にあって、そのしもべたちは神に仕え、
4
神の御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の名がついている。
5
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である。

ーー新しいエルサレムには
呪いはありません すべてが祝福です

神様の名前が額にしるされています

夜がありません
罪がなく 闇がなく神様の栄光の光で
輝いているからです

22:6-9
御使いはまた私に、「これらのことばは、信ずべきものであり、真実なのです」と言った。預言者たちのたましいの神である主は、その御使いを遣わし、すぐに起こるべき事を、そのしもべたちに示そうとされたのである。
7
「見よ。わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを堅く守る者は、幸いである。」
8
 これらのことを聞き、また見たのは私ヨハネである。私が聞き、また見たとき、それらのことを示してくれた御使いの足もとに、ひれ伏して拝もうとした。
9
すると、彼は私に言った。「やめなさい。私は、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書のことばを堅く守る人々と同じしもべです。神を拝みなさい。」

ーーヨハネの黙示録は
神様がヨハネに啓示を与えています

ヨハネの黙示録1:3に
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。時が近づいているからである。

と書かれてある通りに
未来の祝福の約束がここにしめされてます

ヨハネは啓示をしめしてくれた
天使の足元にひれふそうとしました
しかし天使は 神様だけを拝みなさいと
いいました
天使でさえも私達と同じ神様に
つかえるものだということを
教えてくれています

私達もみことばを取り次いでくれたり
預言をくれたり 啓示をシェアしてくれたり
する人をすごい とおもったり
その人についていったり
あがめたりすることのないように
この箇所をみておもいました

22:10-15
また、彼は私に言った。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。
11
不正を行う者はますます不正を行い、汚れた者はますます汚れを行いなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行い、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。」
12
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る。
13
わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。初めであり、終わりである。」
14
自分の着物を洗って、いのちの木の実を食べる権利を与えられ、門を通って都に入れるようになる者は、幸いである。
15
犬ども、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、外に出される。

ーー
天使がヨハネに神様からの言葉を
伝えています

この書の預言のことばを封じてはいけない
時が近づいたからである
といっています

そして
イエス様を信じるものは
黙示録の内容をうけいれ
ますます聖なるものにされ

信じないものは黙示録をこばみ
ますますけがれはさらにひどくなるということ

そして
イエス様の再臨
信じるものが携挙された後
イエス様は 罪人を裁くためにこられるということ

そしてイエス様は昔も今もかわりなく
存在するお方だということ

そして小羊の血潮によって
贖われたものだけが
新しいエルサレムに入れるということ

そして
イエス様を信じないものは決して
この新しい都に入ることは
できないということ

イエス様に従うことは義務感ではなく
忠実に喜んで心から思いをつくして
ついていくこと

22:16-17
「わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
17
 御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。

ーーイエス様がいわれている宣言です
わたし、イエスは御使いを遣わして、諸教会について、これらのことをあなたがたにあかしした。わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」

そしてつぎのこのみことば
御霊も花嫁も言う。「来てください。」これを聞く者は、「来てください」と言いなさい。渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。

日本語訳ではイエス様に来てください
という風になっていますが
英語では
Come! となっているので
来なさい という訳の方が後のみことばに
繋がるとおもいます

そのつぎのみことばは
渇くものはきなさいといって
イエス様が招いておられるのをみると
神様は 罪人に来なさい といわれて
いるとおもいます
イエス様を待ち望むことも
大事ですが イエス様の心は
一人でも多くの人々が悔い改めて
神様の子どもにもどることです

私達がイエス様の言葉それを伝える
とき「来なさい」という
招きの言葉だとおもいます
私は 「来てください」と
イエス様を待ち望みながらじっと
しているものではなく
迷っている1匹の羊のために
どこまでもいかれたイエス様のように
でていき「イエス様のもとに来なさい」と
伝えたいとおもいます

22:18-21
私は、この書の預言のことばを聞くすべての者にあかしする。もし、これにつけ加える者があれば、神はこの書に書いてある災害をその人に加えられる。
19
また、この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。
20
 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
21
 主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。アーメン。

ーこの黙示録に付け加えたり
取り除いたりすることへの警告です

みことばを自分の勝手な解釈に
してはいけないということです

黙示録の最後は
祝福の言葉で終わっています

主イエスの恵みがすべての者とともにあるように。
アーメン。

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