1/18 (木) 義について 自分の義?神様の義?- Pastor RIE

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1/18 (木)Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

義について

私たち人間は

自分の行いによって

神様から義と
みとめられようとします

聖書の中にも
律法(神様が定めた掟)を
守ったら義と認められると
思っている

律法学者やパリサイ人達

パウロもその内の
ひとりでした

神様の掟をまもらないと!
義と認められないと
義を守ってきました

しかしイエス様を信じる
信仰による義は行いによるのではなく信じたすべてのものが神から与えられるプレゼント

ピリピ3:9
キリストの中にある者と認められ 律法による自分の義ではなくて キリストを信じる信仰による義 すなわち信仰に基づいて 神から与えられる義を持つことができるという望みがあるからです

自分の行いによる義
(律法を守る義)は
神様の目からみたら
不潔な着物をきてるようだと
いわれています

イザヤ64:6
私たちはみな 汚れた者のようになり 私たちの義は不潔な着物のようです

ローマ10:4
キリストが律法を終わらせたので 信じる人は みな義と認められるのです

ローマ3:26
それは今の時にご自身の義を
表すためであり
こうして神ご自身が義であり
またイエスを信じる者を義とおみとめになるためなのです

ローマ3:28
人が義と認められるのは
律法の行いによるのではなく
信仰によるというのが
私たちの考えです

エペソ2:8‐9
あなたがたは恵みのゆえに
信仰によって救われたのです
それは自分自身からでたことではなく 神からの賜物です
行いによるのではありません
だれも誇ることのないためです

ローマ3:28
人が義と認められるのは
律法の行いによるのではなく
信仰による

ガラテヤ3:3

あなたがたはどこまで
道理がわからないのですか
御霊で始まったあなたがたが
いま 肉によって完成されるというのですか

ガラテヤ4:9
ところが 今では神を知っているというのに
いや むしろ神に知られているというのに
どうして無力 無価値の幼稚な教えに逆もどりして
再び新たにその奴隷になろうとするのですか

ガラテヤ6:15
割礼を受けているかいないかは大事なことではありません
大事なのは新しい創造です

イザヤ54:13-17
あなたの子どもたちはみな
主の教えを受け
あなたの子どもたちは
豊かな平安がある

あなたは義によって堅くたち
しいたげから遠ざけられ
恐れることはない

見よ せめよる者があっても
それはわたしから出たものではない

あなたをせめる者は
あなたによって倒される

見よ 炭火を吹きおこし
武器を作り出す職人を
創造したのは
わたしである

あなたをせめるために
作られた武器は
どれも役にたたなくなる

また裁きの時

あなたを責め立てるどんな舌でもあなたはそれを罪に定める

これが主のしもべたちの
受け継ぐ分
わたしから受ける彼らの義である

主の御告げ

コロサイ3:10
新しい人を着たのです
新しい人は造り主のかたちに
にせられています
ますます新しくされ
真の知識にいたるのです

ヨハネ6:63

いのちを与えるのは御霊です
肉は何の益めもたらしません
わたしがあなたがたに話したことばは霊でありまた
いのちなのです

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