Pastor RIE

10/26 (木) 心の中の宝- Pastor RIE

10/26 (木) Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

心の中の宝

2コリント4:7
私たちは、この宝を、
土の器の中に入れているのです。
それは、この測り知れない力が
神のものであって、私たちから
出たものでないことが
明らかにされるためです。

2コリント12:9
しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。

ローマ8:37
しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。

2コリント4:8-10
私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

1ペテロ4:14
もしキリストの名のために非難を受けるなら、あなたがたは幸いです。なぜなら、栄光の御霊、すなわち神の御霊が、あなたがたの上にとどまってくださるからです。

2コリント4:16-18
ですから、私たちは勇気を失いません。
たとい私たちの外なる人は衰えても、
内なる人は日々新たにされています。
今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

10/25 (水) 夫婦について – Pastor RIE

10/25 (水) Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

夫婦について
まず妻にいってるみことばから

エペソ5:22-24
妻たちよ。あなたがたは、
主に従うように、自分の夫に従いなさい。
なぜなら、キリストは教会のかしらで
あって、ご自身がそのからだの
救い主であられるように、
夫は妻のかしらであるからです。

教会がキリストに従うように、
妻も、すべてのことにおいて、
夫に従うべきです。

エペソ5:33
それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。

創世記2:18
神である主は仰せられた。「人が、ひとりでいるのは良くない。わたしは彼のために、
彼にふさわしい助け手を造ろう。」

次に夫についてのみことば

エペソ5:25
夫たちよ。キリストが教会を愛し、
教会のためにご自身をささげられたように、
あなたがたも、
自分の妻を愛しなさい。

エペソ5:28-29
そのように、夫も自分の妻を
自分のからだのように
愛さなければなりません。
自分の妻を愛する者は自分を
愛しているのです。
だれも自分の身を憎んだ者はいません。
かえって、これを養い育てます。
それはキリストが教会を
そうされたのと同じです。

1テモテ5:8
もしも親族、ことに自分の家族を顧みない人がいるなら、その人は信仰を捨てているのであって、不信者よりも悪いのです。

コロサイ3:19
夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。

1ペテロ3:7
同じように、夫たちよ。妻が女性であって、自分よりも弱い器だということをわきまえて妻とともに生活し、いのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい。それは、あなたがたの祈りが妨げられないためです。

10/24 (火) ヘブルカレンダー ヘシュバンの月 – Pastor RIE

10/24 (火) Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

ヘブルカレンダー

ヘシュバンの月 
2017年10月21日ー11月18日

自分の語る言葉で戦う

1. マナセ (忘れる、飛び跳ねる、立ち去る) の月。

2.  今月はノアの洪水の月です。

3.  油注ぎのために保存されている月。

イザヤ10:27
その日になると、
彼の重荷はあなたの肩から、
彼のくびきはあなたの首から除かれる。
くびきはあなたの肩からもぎ取られる。

ヤコブ1:12
試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。

4. 新しい油注ぎなしでは、サタンは私たちに対して優勢になり得ます。

5.  苦難、試練、困難に対して油注ぎをもって直面する月。

6.  ですから、自分の魂が、妬み、苦い思い、不平不満、自己実現を求める思いなどからきよめられるよう主に求めましょう。

モーセはこの月に産まれました

7.  根っこがつながる月

8.  嗅覚の月

9.  没薬の月。

10. 様々な色を見始めます。

11. さそりの月。

12. ヘブル・アルファベットの「NUN(נ)」ぬんの月。

13. 小腸の月、

14. 言葉によって戦わなければならない月。

10/23 (月) 神様の計画と人の計画 – Pastor RIE

10/23 (月) Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

神様の計画と人の計画

箴言16:1-2
人は心に計画を持つ。
主はその舌に答えを下さる。
人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。

ルカ16:15
イエスは彼らに言われた。
「あなたがたは、人の前で自分を正しいと
する者です。しかし神は、あなたがたの心をご存じです。人間の間であがめられるものは、神の前で憎まれ、きらわれます。

1コリント4:4-5
私にはやましいことは少しもありませんが、だからといって、それで無罪とされるのではありません。私をさばく方は主です。
ですから、あなたがたは、主が来られるまでは、何についても、先走ったさばきをしてはいけません。主は、やみの中に隠れた事も明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのとき、神から各人に対する
称賛が届くのです。

ヘブル4:12
神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます

ヤコブ4:14-16
あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、
いったいどのようなものですか。
あなたがたは、しばらくの間現れて、
それから消えてしまう霧にすぎません。
むしろ、あなたがたはこう言うべきです。「主のみこころなら、私たちは生きていて、このことを、または、あのことをしよう。」
ところがこのとおり、あなたがたはむなしい誇りをもって高ぶっています。そのような高ぶりは、
すべて悪いことです。

箴言3:6
あなたの行く所どこにおいても、
主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道を
まっすぐにされる。

詩篇37:5
あなたの道を主にゆだねよ。
主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。

1ペテロ5:7
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

ヤコブ4:6
しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」

箴言3:34
あざける者を主はあざけり、
へりくだる者には恵みを授ける。

箴言29:23
人の高ぶりはその人を低くし、
心の低い人は誉れをつかむ。

ダニエル5:20
こうして、彼の心が高ぶり、彼の霊が強くなり、高慢にふるまったので、彼はその王座から退けられ、栄光を奪われました。

詩篇51:17
神へのいけにえは、砕かれた霊。
砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたは、それをさげすまれません。

ヘブル7:25
したがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。
キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。

10/20 (金) 実を見分ける方法 – Pastor RIE

10/20 (金) Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

「実を見分ける方法 – Pastor RIE」

悪魔の実か?神様の実か?
実を見分けて 悪魔の罠を見破りましょう

ローマ16:17-18
兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。

そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。

1コリント11:19
というのは、あなたがたの中でほんとうの信者が明らかにされるためには、分派が起こるのもやむをえないからです。

1コリント3:3-7
あなたがたは、まだ肉に属しているからです。あなたがたの間にねたみや争いがあることからすれば、あなたがたは肉に属しているのではありませんか。そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

ある人が、「私はパウロにつく」と言えば、別の人は、「私はアポロに」と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。

アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。

私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。

それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです

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ローマ5:5
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

エペソ5:2
また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。

コロサイ3:14
そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。

2コリント6:10
悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。

1ペテロ1:8
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜び

ローマ15:33
どうか、平和の神が、あなたがたすべてとともにいてくださいますように。アーメン。

ピリピ4:7
そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

1テサロニケ5:23
平和の神ご自身が、あなたがたを全く聖なるものとしてくださいますように。主イエス・キリストの来臨のとき、責められるところのないように、あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。

エペソ4:2
謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、
愛をもって互いに忍び合い、

エペソ4:32
お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。

マタイ21:12-13
それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。

そして彼らに言われた。「『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」

マタイ23:23
わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中で
はるかに重要なもの、正義とあわれみと誠実を、おろそかにしているのです。これこそしなければならないことです。
ただし、十分の一もおろそかにしてはいけません。

マタイ11:29
わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。

1コリント7:9
しかし、もし自制することができなければ、結婚しなさい。情の燃えるよりは、結婚するほうがよいからです。

テトス1:8
かえって、旅人をよくもてなし、善を愛し、慎み深く、
正しく、敬虔で、自制心があり、

10/19 (木) ふたつの行い – Pastor RIE

10/19 (木) Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

ふたつの行い
信仰による行いと律法の行い
ーーーーー

ヤコブ2:17-24
それと同じように、
信仰も、もし行いがなかったなら、
それだけでは、死んだものです。

さらに、こう言う人もあるでしょう。
「あなたは信仰を持っているが、
私は行いを持っています。
行いのないあなたの信仰を、
私に見せてください。
私は、行いによって、
私の信仰をあなたに見せてあげます。」

あなたは、神はおひとりだと信じています。
りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。
ああ愚かな人よ。あなたは行いのない
信仰がむなしいことを
知りたいと思いますか。

私たちの父アブラハムは、
その子イサクを祭壇にささげたとき、
行いによって義と認められた
ではありませんか。
あなたの見ているとおり、
彼の信仰は彼の行いとともに
働いたのであり、
信仰は行いによって全うされ、

そして、「アブラハムは神を信じ、
その信仰が彼の義とみなされた」
という聖書のことばが実現し、
彼は神の友と呼ばれたのです。

人は行いによって義と認められるのであって、信仰だけによるのではないことが
わかるでしょう。

アブラハムは一人息子のイサクを捧げた
創世記22:1-13

これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ」と呼びかけられると、
彼は、「はい。ここにおります」と答えた。
神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、
モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、
全焼のいけにえとしてイサクを
わたしにささげなさい。」

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、
ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえの
ためのたきぎを割った。
こうして彼は、神がお告げになった
場所へ出かけて行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、
その場所がはるかかなたに見えた。
それでアブラハムは若い者たちに、
「あなたがたは、ろばといっしょに、
ここに残っていなさい。
私と子どもとはあそこに行き、
礼拝をして、あなたがたのところに
戻って来る」と言った。
アブラハムは全焼のいけにえのための
たきぎを取り、それをその子イサクに負わせ、火と刀とを自分の手に取り、
ふたりはいっしょに進んで行った。
イサクは父アブラハムに話しかけて言った。「お父さん。」すると彼は、
「何だ。イサク」と答えた。
イサクは尋ねた。「火とたきぎはありますが、全焼のいけにえのための羊は、
どこにあるのですか。」
アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」こうしてふたりはいっしょに
歩き続けた。

ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。

アブラハムは手を伸ばし、
刀を取って自分の子をほふろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼を呼び、
「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」

御使いは仰せられた。
「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」

アブラハムが目を上げて見ると、
見よ、角をやぶにひっかけている
一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、
そのおひつじ雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。

ガラテヤ5:6
キリスト・イエスにあっては、割礼を受ける受けないは大事なことではなく、
愛によって働く信仰だけが大事なのです。

エペソ2:9
行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。

ガラテヤ2:21
私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、
それこそキリストの死は無意味です。」

ヤコブ2:19
あなたは、神はおひとりだと信じています。
りっぱなことです。ですが、悪霊どももそう信じて、身震いしています。

10/17 (火) 行い信仰は 呪い – Pastor RIE

10/17 (火)Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

「行い信仰は 呪い」

行いで 神様から愛されると
間違った思いや 間違った教えを
受け取っていないか?

できない
自分をせめる
窮屈になる
できない自分が嫌になる
神様に顔向けできない
こんな自分愛されるわけない

そう思ってる人によい知らせがあります
みことばをよくみてください

福音とはなんですか?
良い知らせです!
ゴスペルとはなんですか?
Good Newsです!!

神様からの良い知らせ Good Newsを
お伝えします

ガラテヤ3:10-13
というのは、律法の行いによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

ところが、律法によって神の前に義と認められる者が、だれもいないということは明らかです。「義人は信仰によって生きる」のだからです。
しかし律法は、「信仰による」のではありません。
「律法を行う者はこの律法によって生きる」のです。
キリストは、私たちのために
のろわれたものとなって、
私たちを律法ののろいから
贖い出してくださいました。
なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである」と書いてあるからです。

リビングバイブル

‭‭「律法の行いに頼って救われようとする者は、神にのろわれます。なぜなら、聖書には、「神の律法の書にあることばを一つでも破る者は、のろわれる」 ( 申命27・26 ) とはっきり書いてあるからです。 したがって、律法によってはだれ一人、神の恵みを受けることはできないわけです。神の前で正しい者と認められる道は信仰による以外にない、と神様は言っておられます。預言者ハバククが、「正しい人は信仰によって生きる」 ( ハバクク2・4 ) と語ったとおりです。 この信仰による道は、律法の行いによる道とはなんと違うことでしょう。律法による道は、律法を一つ残らず完全に守ることによって救われる、と教えているのですから。 しかし自分の悪い行いのために、私たちが受けなければならないはずののろいを、キリストはご自分の身に引き受け、私たちを律法ののろいから救い出してくださいました。聖書に、「木にかけられる者はだれでも、のろわれた者である」 ( 申命21・23 ) と書いてあるからです。」
‭‭ガラテヤ人への手紙‬ ‭3:10-13‬

10/16 (月) 何をしたら天国にいけるの?- Pastor RIE

10/16(月)Pastor RIEの朝のみことばパラダイス!

「何をしたら天国にいけるの?」

誰が天国に入れるの?
行い?
自分が正しいとおもうことをすること?
律法を守ること
それも 携挙されたいために?

そのことについてお話ししています

ガラテヤ3:1-7
ああ愚かなガラテヤ人。
十字架につけられたイエス・キリストが、
あなたがたの目の前に、
あんなにはっきり示されたのに、
だれがあなたがたを迷わせたのですか。
ただこれだけをあなたがたから
聞いておきたい。
あなたがたが御霊を受けたのは、
律法を行ったからですか。
それとも信仰をもって聞いたからですか。
あなたがたはどこまで道理が
わからないのですか。
御霊で始まったあなたがたが、
いま肉によって完成されるというのですか。
あなたがたがあれほどのことを経験したのは、むだだったのでしょうか。
万が一にもそんなことはないでしょうが。
とすれば、あなたがたに御霊を与え、
あなたがたの間で奇蹟を行われた方は、
あなたがたが律法を行ったから、
そうなさったのですか。
それともあなたがたが信仰を
もって聞いたからですか。
アブラハムは神を信じ、
それが彼の義とみなされました。
それと同じことです。
ですから、信仰による人々こそアブラハムの子孫だと知りなさい。

ガラテヤ3:1-7 現代語訳
「ああ、ガラテヤの皆さん。
なんと物わかりが悪いのでしょう。
いったいどんな魔術師にだまされて、
魔法にかけられたのですか。
私は、十字架上で死なれたキリストの姿を、絵のようにありありと目の前に示して、
その死の意味をはっきりと
教えたではありませんか。
一つだけ聞いておきます。

あなたがたは、なぜ聖霊をいただくことができたのですか。律法を守ろうと
努力したからですか。
キリストのことを聞き、
その救いを信じて初めて、
聖霊はあなたがたのところに
来てくださったのです。
とすると、信仰生活が聖霊によって
始まったのに、どうして、
律法を救いの条件とするのですか。

あれほどの経験をしたあなたがたが、
福音をあっさりと投げ捨ててしまうのですか。とても信じられないことです。

もう一度聞きます。なぜ神様は、
あなたがたに聖霊の力を与え、
奇跡を見せてくださったのですか。律法を守ろうと努力したからですか。
そうではないでしょう。
キリストを信じ、全くお任せしたからです。 アブラハムも同じ経験をしました。
彼は神の約束を信じたというだけで、
天国へ入る資格を与えられたのです。
このことから、心から神に信頼する人は
だれでも、アブラハムの真の子孫と
なることができるのです。」
‭‭

マタイ22:37-39
そこで、イエスは彼に言われた。
「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』
これがたいせつな第一の戒めです。
『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。

ローマ10:1-11
兄弟たち。私が心の望みとし、
また彼らのために神に願い求めているのは、彼らの救われることです。

私は、彼らが神に対して
熱心であることをあかしします。
しかし、その熱心は知識に
基づくものではありません。
というのは、彼らは神の義を知らず、
自分自身の義を立てようとして、
神の義に従わなかったからです。

キリストが律法を終わらせられたので、
信じる人はみな義と認められるのです。

モーセは、律法による義を行う人は、
その義によって生きる、と書いています。

しかし、信仰による義はこう言います。
「あなたは心の中で、だれが天に上るだろうか、と言ってはいけない。」
それはキリストを引き降ろすことです。
また、「だれが地の奥底に下るだろうか、
と言ってはいけない。」
それはキリストを死者の中から
引き上げることです。
では、どう言っていますか。
「みことばはあなたの近くにある。
あなたの口にあり、あなたの心にある。」
これは私たちの宣べ伝えている
信仰のことばのことです。

なぜなら、もしあなたの口で
イエスを主と告白し、あなたの心で
神はイエスを死者の中から
よみがえらせてくださったと信じるなら、
あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

聖書はこう言っています。
「彼に信頼する者は、
失望させられることがない。」

ガラテヤ5:4-5
律法によって義と認められようとしている
あなたがたは、キリストから離れ、
恵みから落ちてしまったのです。
私たちは、信仰により、御霊によって、
義をいただく望みを熱心に
抱いているのです。

‬‬ガラテヤ2:16-21
しかし、人は律法の行いによっては
義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行いによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。
しかし、もし私たちが、キリストにあって義と認められることを求めながら、私たち自身も罪人であることがわかるのなら、キリストは罪の助成者なのでしょうか。そんなことは絶対にありえないことです。

けれども、もし私が前に打ちこわしたものをもう一度建てるなら、私は自分自身を違反者にしてしまうのです。

しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。

私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」

現代語訳

「しかし、私たちユダヤ人クリスチャンにしても、律法の行いを守ることによって神の前で正しい者と認められたのではありません。ただ、罪を取り除いてくださるキリスト・イエスを信じる信仰によって認められたのではありませんか。だからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。それは律法によってではなく、信仰によって神に認められるためです。律法の行いを守って救われる人など、一人もいないのですから。」 しかしもし、キリストの救いを信じた私たちが、あとになって、それはまちがいだった、やはり割礼を受け、律法もみな守らなければ救われないとわかったとしたら、どういうことになるでしょうか。キリストを信じたために、さんざんな目に会ったことになるわけです。しかし、そんなことは絶対にありえません。 前に打ちこわした方法――律法を守ることで救われようとする方法――でもう一度建て直そうとするなら、それこそが罪なのです。 というのは、いくら律法に従おうと努力しても――それは失敗以外にないのです――神の恵みは決して受けられないことがわかったからです。キリストを信じて初めて、神に受け入れられることがはっきりわかったのです。」
「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや、私自身が生きているのではありません。キリストが、私のうちに生きておられるのです。私のためにご自身をささげてくださった神の御子を信じた結果、今、私のうちにはほんとうのいのちが与えられています。 私は、キリストの死を無にはしません。もし私たちが、律法を守ることによって救われるなら、キリストが死ぬ必要などなかったはずですから。」
‭‭ガラテヤ人への手紙‬ ‭2:16-21‬ ‭JCB‬‬

1コリント15:1-2
 兄弟たち。私は今、
あなたがたに福音を知らせましょう。
これは、私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、
また、それによって立っている福音です。
また、もしあなたがたがよく考えもしないで信じたのでないなら、
私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかりと保っていれば、
この福音によって救われるのです。

コロサイ1:23
ただし、あなたがたは、
しっかりとした土台の上に堅く立って、
すでに聞いた福音の望みからはずれることなく、信仰に踏みとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられているのであって、
このパウロはそれに仕える者となったのです。